クーラウの三重奏以上の楽曲

クーラウ(1786~1832)の弦楽を伴う三重奏以上の楽曲は、
Op.32ピアノ四重奏 (P.Vn.Va.C)
Op.50ピアノ四重奏 (P.Vn.Va.C)
Op.51 No.1フルート五重奏 (Fl.Vn.Va.Va.C)
Op.51 No.2フルート五重奏 (Fl,Vn.Va.Va.C)
Op.51 No.3フルート五重奏 (Fl.Vn.Va.Va.C)
Op.108ピアノ四重奏 (P.Va.Va.C)
Op.122弦楽四重奏 (Vn.Vn.Va.C)
の7曲に過ぎない。

しかし、どの曲をとっても演奏時間が30分にも及ぶ大曲ばかりである。簡単に言うと、四重奏が3曲、フルートと変則的な弦楽四重奏が3曲、それに弦楽四重奏が1曲に分類できる。この他に、クーラウの弦を伴う作品は、ヴァイオリンソナタOp.33とOp.79の3曲で、それ等を加えたとしても全12曲にすぎない。


ピアノソナタだけで17曲、フルートソナタは10曲、長大な音楽劇だけで約10曲もの作品を残しているクーラウが、弦にかかわる作品にそれ程、力を注いだとも思えないにもかかわらず、唯一の弦楽四重奏、作品122は、彼の最晩年の最高傑作であり、精神的に高い感動を持った勝れた作品で、冒頭部分では、ベートーヴェンの弦楽四重奏第15番イ短調作品132の最初に現れる、深い内省的な感情を支配する重要な動機が、同じ様に使われ、ベートーヴェンの持つ精神の高みと同じ崇高さを感じさせる程の音楽を造り上げた。


このクーラウの作品122で到達し得た境地は、彼のフルートソナタの最高傑作の域をはるかに越してしまっている。それまでの、クーラウの持つ激しさ、正面から運命を切り開いて行く姿勢はすっかり息をひそめ、全てを受け入れ、まるで何も無かったかの様に、淡々と生きる事を肯定するクーラウが到達し得た人としてのプライドを持ち続ける生き様を我々に示してくれている。その前段階としての、独奏楽器と弦楽合奏という位置にビアノ四重奏、フルート五重奏が考えられるのではないだろうか。

解説 田上紳

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