フルートソナタ 第6番 ト短調 Op.83 Nr.3

フルートソナタト短調Op.83 Nr.3は10曲のフルートソナタの中で規模から言えば中程度の作品であるが、作品の持つ精神的な深さは一級品である。

このソナタは、Op.71のフルートソナタと非常に似かよった精神に貫かれている。フルーテイストが、この曲を多く演奏する機会を持ち拡く聴衆に知れ渡れば、Op.85のフルートソナタに匹敵する人気を獲得する曲の一つでもある。

曲の冒頭より、心の奥深いところから込み上げてくるうねりが、当に呼吸する度に感じられ、生きることの辛さ、哀しさ、激しさが次から次へと寄せては帰る波の様に、又は鳴咽する人の様にも思える。クーラウの時代にはクーラウの地獄が、現代入にはそれにふさわしい地獄が、極限に達して荒野に戻れば更にふさわしい地獄が、多分人間が生き続ける限り必ず用意されていて深く成り続ける事は必定である。


第二楽章はクーラウのフルートソナタの中でも傑出した内容を持つAdagioで、長さの点でもOp.85
に匹敵する。このAdagioのあやうく甘美なメロディーは生の讃歌の背後に密着する死の暗い陰を前
楽章の関係で無視することが出来ない。絶えず移り行くリズム形の中に脆さが内包され、その透明さゆえに独奏楽器フルートの純潔さ、一途さを存分に生かしている。

Polaccaの指定のある第三楽章は1814年にフリーメイソンに加入したり、兵役をのがれる為にデン
マークに行くなどのクーラウの政治に対する一面にも触れる必要がある。少し後の時代にはなるが、ショパンが、あれ程までも祖国のポーランドに愛国心を燃した事などから、クーラウにとってもポーランド風という語に何か特別な感情があったに違いない。それ由に、フルートソナタ以外にもpolaccaの指定のある楽章を持つものが多く見られる。(興味がある方は、拙著、クーラウフルート全集第Ⅱ集に詳しい)

かつて、モーツアルトがピアノ・ソナタK.331の3楽章トルコ風で、過去の権威に自分だけが頼っているのが見えない滑稽なトルコ兵を風刺した様に、クーラウもヨーロッパ中を戦いに巻き込んでしまったナポレオンを始めとする為政者達に対する何らかの意思表示であったのかとも受けとめられる。クーラウはロンドの形を借り、同じ旋律を繰り返しながら、ついに希望あふれる旋律を見つけ出し、これを契機として人生をあきらめてはいても、なお可能性を信ずる魂を求め、期待を秘めながらこのソナタを終わらせる。

解説 田上紳

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