フルートソナタ ホ短調 Op.71

クーラウのフルートソナタの中でも、ソナタホ短調Op.71は最大規模の最高傑作の一つで、オペラ『ウイリアム・シェークスピア』と同年(1826年)に作曲されている。


第一楽章は4つの独立したテーマより成る拡大されたソナタ形式を持ち、構想の雄大さがみてとれる。冒頭に、厚みのある和音の上昇形は、劇的なこの曲の幕あけにふさわしい悲壮感あふれ、ホ短調を強調する。次第に、楽章全体を通して聴こえ続ける冬の海のざわめきの上に、やがては人としての生が終った時には、その暗い海に還らねばならない宿命を知り、人生の苦悩を背負いつつ、それに立ち向かう力強いクーラウの精神力さえ感じさせずにはいられない。それはちょうどベートーヴェンが苦悩の中で格闘している姿と合致する。その果てに、順次的に下降する旋律のリズムの変型と発展の末、天使の降臨を思わせる清浄があたりを支配する。このあたりのビアノパート部分の和声は、ベートーヴェンのピアノソナタ(ワルドシュタイン)Op.53の1楽章中に、全く同一の響きが聴こえる部分がある。ここにもベートーヴェンの影響が強く見られる。codaで再び激情する。人生の荒波を凍てつく北の荒野を、ただ一人で歩み続けねばならないという強い意志の力を見せて、重厚なこの楽章は終る。

第二楽章は軽快なスケルッツォで、1つの楽曲にスケルッッォが入っているというだけで、大曲であるという一つの証明にさえなる。フルートソナタにスケルッッォがはいっているのは、Op.71とOp.85の2曲のみであるが、弦楽を伴う室内楽には比較的多く見られる。又、このスケルッツォを配することは、後の国民ロマン派的特性を予見し、Gade.Hartmann.Hornemann,Hoise等の
室内楽に多く見られる特徴となった。

第三楽章はこの大規模なソナタにあっては少し控え目すぎる構成であり、激動の第一楽章の反動にあるかのように、なだらかな上昇形を中心に成り立っている。そして最高音に達した時、同音上のきわめて特徴あるリズムを何度も使う事に、より精神の弛緩した時を創造し、魂の浄化を切望しているかのように見える。

それは、第一楽章の構築的、理知的な音楽に対し、直感と霊感に信頼を置き、最後のたった2小節のカデンツが無限に続く時間の中に迷い込んでしまった様に、気が付いた時我々は第四楽章のロンドヘと導かれている。そこは、確かな足どりを持った軽快なAllegroでフルートの伸縮のある特徴
的なリズムを持つメロディーは機械的な拍を打つピアノパートに強調され生かされる。そして後半には、例のごとく、この楽曲にはなぜこの旋律が必要なのだろうかという旋律(クーラウのソナタには、こうした部分がいくつか見られる。)が現われる。それはなめらかな順次進行のメロデイでメンデルゾーンの“春の歌”を我々に想い起こさせる。この旋律はクーラウが後にオペラEIverhφj(妖精の丘)Op.100の第19場Kransedensに使われている旋律でもある。


この平らかに聴こえる旋律にさえ、社会や、クーラウ独自の種々な手枷足枷に雁字揚めにされ、それでもなお自分の居場所を探り続けねばならないもどかしさ、いらだち、哀しみ、そんなもの全てを含有しつつ、なお生きて行かなければならない人間のつらさが、見え隠れする。この楽章のテーマが軽快なAllegroで再現されはしても、クーラウの心の中にはいつも北海の荒波が打ち寄せている様に思えてならない。

解説 田上紳

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