デンマーク国歌による変奏曲 Op.16

テーマは王国歌として歌われていたが、起源は明らかではない。1780年に、Johann Hartmannのジングシュピーレ「Fiskerne」(漁夫)で用いられた。

クーラウはそのメロデイーを彼の音楽劇 op.100の第5場No.13で混声3部の合唱で締めくくり、華やかに幕を閉じる重要なメロデイーとして用いている。同様にピアノ作品“コペンハーゲン;我が人生の喜びOp.92”でもこのメロデイーが随所に見られる。

8つの変奏を持つこの変奏曲は、比較的平易なテクニックで楽しむ事ができるよう配慮されている。又誰でもが知っているテーマを調性、拍子とも変える事を極力おさえ、ひたすら国王に仕える民の忠誠心の素直な表現のように思える。国王をたたえる歌という保守的な題材を取り上げ、いろいろな制約の中で新しい時代のピアノ表現を工夫していたクーラウの姿勢が感じられる。

たった20小節のテーマの中に、誰もが知っているこの歌を、ビアノ独奏という楽曲に仕上げる為には、がっちりとした和声構成と、高邁な理想をかかげねば成立し得ない。冒頭の4小節でその事が顕著になる。それはユニゾンでしかもフォルテでもって奏される。それは異なった音の高さを持つ国民(大人、子ども、男声、女声)が同じ旋律を唱和する。すなわち、クリスチャンⅣが、マストの先頭に立ち指揮をする方向に、自分達も進んで行く、という意志の表れであると同時に、クーラウ自身のデンマーク国家に忠誠を誓うという決意の様な気がする。

冒頭の左手に注目しよう。
ここでは左手は常に付点のリズムを始めから終わりまで配している。この形は、クーラウの少し前
の時代に確立された、フランスふう序曲の形を念頭にし、荘重な威厳を持たせる役目を荷わせ、国王の前進して行く様を表現している。そして要所要所には右手にも付点音符を置くことによリクリスチャンⅣと共に歩む国民の姿勢を見せてくれる。当時のデンマーク国民がこの旋律を聴いたならば、襟を正し、人間としての生きる道を指し示され、何とも言えない気持ちにさせられた事と容易に想像できる。

変奏I
最初の変奏ではクーラウが好んで用いた3連符の連動が使われている。他の大部分の変奏についても言えることではあるが、和音配列は主題と大体同じで、単純にテーマを踏襲している。それは同時に、デンマーク国民が勤勉に働いている様を描写している様にも見てとれる。

変奏Ⅱ
付点のリズムと順次進行の組み合わせで軽やかな明るい雰囲気が支配する。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづしま 大和の国は
(天皇の香具山に登りて国を望みたまひし時の御製の歌 一新日本古典文学大系 万葉集一より)

この有名な万葉集の巻一の二番目の歌を連想させる国の指導者と国民との幸福な出会いが何のてらいもなく表現され、この歌と変奏Ⅱが一致する。

変奏Ⅲ
16分音符で終始するこの変奏はバイキングの時代の波の音を象徴している。波の間をぬい、ある
いは波を蹴散し、進む様は繊細さと優美さをもあわせ持っている。
Gis/A一H一Aの隣同士の音が何気なく、気安く始まるとすぐに強拍に奏される離れた音が大海の波の一つの様にうねりとなり心地良い刺激を与えてくれる。この変奏はまるでフルートの練習曲の感もするが、最初の強拍音とその他の音3つという様に感じて初めて波乗りの醍醐味が味わえる。

変奏Ⅳ
ここで始めて二短調として転調されている。
主題は短調になっただけで素直に繰り返される。それは、2分音符と付点8分音符を忠実に模倣している。短調であるがゆえの重苦しい雰囲気が、この変奏を通して感じられる。それはゆっくりとした2分音符の動き、同音を繰り返し奏することにより強調され、政争に敗れた数々の王侯、貴族の怨念が感じられ、音楽に幅を与えてくれる。

変奏V
Brillanteと指示されているこの変奏は、左手がきっちりと20小節の主題をうたいあげ、この右手はモーツァルトの多くの変奏曲に見られる様に、旋律の音階化したものであるが、非常になめらかなスケールが感じられる。それは、16分音符の細かい動きが、すぐ隣の音へと順次進行を基本に大きな波形を描いている。
実際、隣の音以外へ進む回数は、36回だけである。そのうち、オクターブの動きが4回、又、同一和音内の動きが17回、この二系統の動きを差し引いても16回だけである。更にそのうち3度の隔たりのある場所が12回である。このように考えると、ほぼというよりも、完璧に隣の音へ進行する様作られているということもできる。
この事はデンマーク王国というキャパシテイの広い土壌に、自分を含めて異邦人が自身の個性を合わせ、それが又、その土壌に受入れられ、花を咲かせるという華やかさを16分音符の音階化で表現されている。

変奏Ⅵ
前の変奏に引き続いて細かい16分音符の動きは続く。その動きは右手、左手が一体となり、2オクターブの開きを保ちながら、時には3度の隔たりを持ちながら、高声部、低声部が同等の役割を果たし20小節の楽曲を形づくる。

変奏Ⅶ
いよいよこの辺りでクーラウの作曲家としての腕を見せなければならないところであろう。この変奏では、最初のモチーフが変化を見せる。同時に8分の6拍子のゆったりした動きに特徴を持たせた、大変優雅な変奏を見せる。
この変奏の冒頭の二長調の主和音だけの動きは、極めて柔らかく、美しく響かせるトランペットの音を想い起こさせる。それは又、コペンハーゲン中に鳴り響く鐘の様にも聴こえる。この変奏の間中この響きは聴く者の心に鳴り続け、国王の威厳のために用いられた付点音符はここではゆっくりした付点に変わり、絶対の安らぎを与えてくれる大海原のたゆたいの揺れにと取り変わる。祈ることにより人々は世俗的欲望を反省し、人間の理想を求め、安らぎと明日への活力を手にする。

変奏Ⅷ
再び活力を見い出した人間は、現実の社会で理想郷を実現すべく奮闘する。変奏曲中最も長大で100小節を有し、Moderato maestosoの12小節のテーマの再現がCodaとして付け加えられている。最後を飾る変奏にふさわしく、付点のリズムを除き、今まで出されたリズム型すべてを並べると同時に、細い感情の動きを長調から短調へ転調していく様が、明瞭に見て取れる。80小節以降のオクターブで動く旋律の音階化は、一挙に大団円をむかえるにふさわしく、王者の雰囲気を醸し出し、国王のテーマを導き、デンマーク王国の繁栄をたたえ幕を閉じる。

解説 田上紳

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